浄土ヶ浜って?
浄土ヶ浜は三陸復興国立公園にある三陸を代表する景勝地です。宮沢賢治も眺めたという浄土ヶ浜は、一度と言わず何度でも訪れたい名所中の名所です。
今から約5200万年前の古第三紀(白亜紀の次の時代)に形成されたといわれています。火山岩からできた白い岩と小石によって入り江が作られているため、外海から隔てられていおり波もおだやかです。海水浴の季節には多くの人で賑わい、「日本の水浴場88選」や「日本の快水浴場百選(海の部特選)」にも名を連ねる人気のスポットです。
岩の上には岩手県の県木でもある「ナンブアカマツ」などの常緑樹があり、白い岩肌とのコントラストが日本庭園のような美しさを醸し出しています。浄土ヶ浜の名前は、天和年間(1681年から1683年)に宮古山常安寺七世の霊鏡和尚が「さながら極楽浄土のごとし」と、目の前に広がる風景に感嘆したことから名付けられたともいわれています。かの宮沢賢治も1917年7月に浄土ヶ浜を訪れた際「うるはしの海のビロード昆布らは寂光のはまに敷かれひかりぬ」という歌を詠んでいます。
浄土ヶ浜には見どころがいっぱい
浄土ヶ浜には海側から見ることの出来るポイントが、いくつかある事をご存じでしたか?
弁慶手形や子安地蔵など、昔から言い伝えのある数々のポイントをご紹介します。
鍬形(くわがた)
鍬ケ崎の名前の由来となったとされている場所です。「鍬形」の上部にある岩の断層が、さながら黒い鍬の刃に見えるところから、この名前がついたと言われています。
八戸穴(はちのへあな)
堤防の近くにあり、観光船発着所のちょうど裏側にあるため、直接見ることができません。江刺恒久が1892年(文久2年)に著した「奥々風土記 巻五」には『この穴は八戸まで通じていて、八戸には「宮古窟」がある』という記述があったので調べたところ、八戸には「閉伊窟」とう穴が存在していたとか。現在、その「閉伊窟」は残念ながら鉱石採掘で無くなってしまったそうです。
お台場
浄土ヶ浜にも「お台場」があります。戊辰戦争時、官軍と旧幕府軍とが戦った際、ここに砲台があったことからこの名前で呼ばれています。以前は穴崎と言われていたそうです。第1駐車場から歩いて1分ほどにあるお台場展望台の入口には宮古港海戦記念碑があり、壮絶な戦いを偲んでいます。
賽の河原
小安地蔵の登り口の入り江にあります。天然の石の堤防があるため、小石や砂が流れ出さず残っているので、まるで河原のようになっていることから、この名前が付いたのだと思われます。
汐かけ
半島の突端に位置する汐かけは、漁の口あけの目安のひとつになっている場所です。ここに少しでも白波があれば海が荒れるため漁が中止になるそうです。
血の池
賽の河原沿いにある隣の入り江から、途中にある重茂半島に向かう断崖の石の廊下を出ると広がる空間にあります。うす暗い雰囲気がこの場所の名前を物語っているようです。現在は浄土ヶ浜全域が特別地域に指定されているため、訪れることができません
子安地蔵
小安地蔵は地元の人々が家族の健康と大漁を祈願して信仰している神様。賽の河原の小石を持って拝みにいくことから、ここを「賽の河原の地蔵さん」と呼んでいます。
千畳敷
小安地蔵が安置されている鞘堂の背面、断崖絶壁の下に広がる岩場です。畳千畳分もあるように見えたのでしょうか。この右側にも平らな岩盤が広がっています。
エボシ(烏帽子)岩
他の岩が白いのに、何故かこの岩だけ黒いため、その名の通り本当に烏帽子のように見える岩です。陸側から見るとその形は全く想像できないとか。
屏風岩
垂直に連なる岩が屏風のように見えることからこの名前が付きました。この屏風岩の奥に広がるのが「蛸の浜」です。
鷹岩・鷹の巣
浄土ヶ浜の小沼にある島で、頂上に口を開けた三羽の鷹が見えることからこの名前がつけられたようです。別名「鷹のくちばし」とも言われています。この岩の左下から小沼に海水が越えてきて浄土ヶ浜のきれいな海水の循環を担っています。
砥石浜と剣山
昭和55年頃までは観光船陸中丸の桟橋があった場所としても知られています。砥石のような岩が、正面に連なる剣山に向かってのびていく様子は、浄土ヶ浜のビューポイントの一つになっています。
弁慶手形
浄土ヶ浜レストハウスの裏手の山を海側から見ると、岩の頂上の左側から、人の手の甲と、甲に走る線が見えます。大きな人の代名詞であった弁慶になぞらえて付けられた名前なのでしょう。
今回ご紹介した小地名は「浄土ヶ浜マリンハウス」の観光メニューで訪問可能です。
「浄土ヶ浜マリンハウス」には、モーターボートでの島巡りやさっぱ船での観光受付、貸しボートや釣りなど、楽しいメニューがいっぱい。店内には食堂、三陸のお土産コーナーもあります。